早いもので2泊3日の旅行も最終日。
すっかり天気も回復しました。
朝、ホテルのチャックアウトを済ませ
バック類はホテル設置のロッカーへ預け
身軽な格好で観光へ。
今日は、電車&徒歩移動で、
東福寺-三十三間堂-清水寺
を廻りました。
朝が早かったせいか、駅下車後もさほど
人が多いと感じることもなく、人の流れに乗り
東福寺へ。
東福寺
奈良における最大の寺院である東大寺と、
同じく最も盛大を極めた興福寺の「東」と「福」の字を取り、
東福寺が造営されたのが縁記だそうです。
紅葉の上を通行するように架けられた通天橋からは
谷間を埋め尽くした紅葉の海が見渡せ、
通天橋の向かいに架けられている臥雲橋からは
東福寺のよく見掛ける風景が臨めます。
紅葉はかなり進んでて、人もそれほど多くはなく
十分秋付く色を楽しめました。
ここで、ふと思いついたのは朱印帳。
今回の旅行は、ここまで京都にちなんだ自分へのおみやげを
買ってなかったので、ふと目の前にあった朱印帳に
目が行き、そやこれを始めようと即決。
あ~こんなことなら初日から思いつけば良かった
と思いつつ、記念の第1号は東福寺の朱印と成りました。
実は前日の龍安寺でも朱印帳に書き込みを
して貰っている人を見掛け、良いなって思ってた。
早く始めれば良かったと後悔もあったが
これからのお寺巡りが楽しく成りそう(^^)v。
三十三間堂
再び電車で京阪電鉄東福寺駅から七条駅へ移動。
建物の正式名称は蓮華王院本堂(れんげおういんほんどう)。
元は後白河上皇が自身の離宮内に創建した仏堂。
長大なお堂は「和様入母屋本瓦葺」で、南北に118メートルあり、
お堂正面の柱間が33あることから「三十三間堂」と呼ばれ、
堂内には丈六の千手観音坐像(国宝)を中央に
1001体もの観音像(重文)と共に風神・雷神、観音二十八部衆という
30体の仏像(国宝)が祀られています。
一体一体の千手観音が表情が異なり、よくこんなに造ったものだって
関心しながら見ました。一体誰がどのくらいの年月を掛けて
造ったんでしょうねぇ。何故1001体も造る必要があったのか?
丁度中央辺りで朱印帳に記入して貰いました。
カバーを取らずにそのまま出したら突っ返された。
ちゃんと朱印を書き込んで貰う頁を開けて出すのが
マナーなんですね。覚えとこ。
清水寺
三十三間堂から徒歩で移動しました。約30分位掛かったかな?
丁度良い運動に成りました。
去年に続き2回目の拝観。
清水寺は、京都東山の音羽山の中腹に建つ歴史ある寺院です。
創建は平安京遷都よりも古く延鎮上人により宝亀9年(778年)に開山。
その後、延暦17年(798年)坂上田村麻呂が仏殿を建立したと伝え、
現在の建物の多くは、寛永8年から10年(1631年から1633年)、
徳川家光の寄進によって再建されたものだそうです。
清水寺は始め「北観音寺」と呼ばれていましたが、
境内にわき出る清水が観音信仰の黄金延命水として神聖化され、
一般にも清めの水として「清水」が知られるようになり、
後に名称を「清水寺」に改められたとか。
そんな清水寺の由来となった清水が、現在でも「音羽の滝」の名水です。
清水寺の一番の見所は「清水の舞台」で有名な本堂です。
崖下からの高さは約12mあり、4階建てのビルに相当。
江戸時代には234人の人が飛び降りて約85%は助かってる
っていうはなしも聞きました。よく飛び降りたねぇ。
何でだろう、去年ほどの感動は正直無かったかな。
去年じっくり見たせいか、相変わらずの人の多さへの嫌気か?(笑)
ま、次は無いかなと思いました。
丁度お腹も減ってきたので、音羽の滝の前の茶店で
おしるこ頂きました。美味しかったぁ。
清水の今回の感動の一番はこれかな?
一応目ぼしいものは見たのでタクシーで京都駅へ移動。
最後のショッピングを楽しみつつ遅い昼食も済ませました。
また来たいな、京都。
じっくり色々なものが見たいと思いつつ
帰りの帰路につきました。
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